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いのちの名前 [オヤジの気まぐれ]

   10月も後半が過ぎて朝夕は身震いするほど冷え込む熊本であります。
   
   今日は久々に奥さんと連立って荒尾市に在る「万田抗」にお邪魔しました。
   こちらはあの「炭鉱節」に唄われる三池炭鉱のシステムの1つとして1902年に開かれ、
   1997年に閉山するまで近代国家の下支えを担ってくれていた炭鉱の1つでした。

   「石炭」と言えば今や殆ど見なくなりましたが、
   私が子供の頃はストーブや釜風呂にと随分身近な燃料でよく使ってました。

第一竪鉱.jpg

   この日、万田坑正門では「万田坑DKフェスタ」と称して
   唄や踊りと地元の名物を集めて、催し物が開かれていました。

万田鉱DKフェスタ.jpg

   それを横目で見ながら正門を潜り抜け「万田坑」に入ります。

   狭くなったとは言え今でも敷地の中には多くの「国重要文化財」の施設が点在し、
   ココで全てを紹介するのは難しく最盛期の関連した専用鉄道や港まで入れれば、
   想像をはるかに超え途方もありません。

第二竪鉱櫓.jpg

   正門からすぐ前に目に入るのは「万田坑」のシンボル的存在
   総鋼鉄製の高さ18,9mの「第二竪坑櫓」です。

   機能は滑車にワイヤーをかけてゲージと言うエレベーターのかご吊り下げて
   人や資材を昇降させていました。

第二竪鉱巻揚機室.jpg

   今でも凄い音とともに動き出しそうです。

第二竪抗抗口.jpg  

   次はその裏手にある「第二竪坑坑口」です。
   ここには大きさ8,3m X 4,4m 、深さ地下264mの穴が開いて坑内作業員は、
   ゲージに乗り坑低まで下りていました。

   ("天空の城ラピュタ " で主人公のパズーが坑員さんを揚げてたでしょ!アレです)

職場.jpg

   次は「職場」と呼ばれる坑内で使用する機械等の修理や工具の工作を行った施設です。

職場、修繕工場内部.jpg

   中は埃を被った壊れた機械だけが当時の様子を教えてくれてます。

第一竪抗土台跡.jpg

      (この壁は最初の白黒写真の第一竪坑の土台跡です)

   かつてはココに人々が集い生活をし生きて栄華を誇った証だけが、
                           こうして静に夏草に埋もれて佇んでいます。

事務所、扇風機室.jpg


   万田坑をはじめ長崎の軍艦島、以前紹介した三角西港等、
   九州・山口の近代産業遺産群は「世界遺産登録」を目指しています。 





  
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コメント 6

アビッチ3号

懐かしかです(^-^) 炭坑あっての町でした。隣の大牟田同様、経済は苦しかっちゃなかろか?競馬場はまだあっとでしょうか?いやぁー懐かしかです(^_-)
by アビッチ3号 (2013-10-28 05:55) 

マメ三

アビッチ3号さん、
喜んでいただいて私も嬉しいです。
「荒尾競馬」は去年惜しまれながら閉鎖され、
今年「福岡ソフトバンク」の練習場の候補に名乗を上げましたが
果たしていかがでしょうか?
by マメ三 (2013-10-28 09:04) 

半世紀少年

土台跡・・・なんか遺跡みたいですね。
一度見てみたいものです。
by 半世紀少年 (2013-10-29 12:11) 

マメ三

半世紀少年さん、
明治から昭和まで石炭で我々の暮らしを支えてきた三池炭鉱、
今では廃墟になってしか思い知る事しかできませんが、
最盛期を一度この目に焼き付けたかったです。
by マメ三 (2013-10-29 13:39) 

くーぺ

マメ三さん、随分と涼しくなってきましたが、
その後体調はいかがですか??

三池炭鉱の一端を担っていた所なんですね~
どこを見ても「人の手」が活躍していた時代を感じます。
オートメーションは人間の技術力を弱めてしまうという弱点も
持ち合わせていましたね・・
by くーぺ (2013-11-08 22:36) 

マメ三

くーぺさん、
ありがとうございます、お陰さまで今の体にも慣れ以前のように仕事もこなせる様になりました。
三池炭鉱は既に廃坑となり、嘗ての面影も想像でしか浮びません。
by マメ三 (2013-11-11 20:31) 

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