evolution [オヤジの気まぐれ]
お待たせしました、前回の続きですよネ。
1864年2月 勝海舟は「四国艦隊下関砲撃事件」調停の幕命を受け、
坂本龍馬を含む14人の塾生と共に江戸から 2月15日 佐賀関に上陸した後、
「豊後街道」を通って熊本経由で長崎に向ったとあり、
(クリックすると豊後街道の画像が大きくなります)
まず最初は上陸後5日目(2月19日)に宿泊した場所へ向かいます。
コチラは阿蘇の内牧に在る阿蘇体育館で周りには温泉地らしくホテルが点在しています。
(優しい泉質の温泉が一行の疲れをきっと癒したに違いありません)
以前にはここ一帯、出城である「内牧城」が在りそこを参勤交代等で宿泊する宿として
「内牧御茶屋」を設置して在りましたが残念ながら開発により痕跡は伺えません。
いまや城跡は市民の憩いの場になり、案内板だけが当時を知る手掛りとなっています。
(”夏草や兵どもが夢の跡、、、”)
山の麓伝いに左手に壮大な「阿蘇五岳」のパノラマを観ながら数キロ上ると、
当時の佇まいを残した「的石御茶屋跡」が見えてきます。
休憩地である屋敷内の庭には滾々と湧き出る北外輪山からの伏流水で泉水が形づくられ、
御茶屋泉水として「くまもと名水百選」に選ばれて紅葉の時期には沢山の人が訪れます。
(時は2月、辺り一面の雪景色を観ながら龍馬一行は先を急いだでしょうネ)
ここで喉を潤し「豊後街道」難所の1つ「二重峠」に向かいましょう。
そんでもって "It is to be continued."
1864年2月 勝海舟は「四国艦隊下関砲撃事件」調停の幕命を受け、
坂本龍馬を含む14人の塾生と共に江戸から 2月15日 佐賀関に上陸した後、
「豊後街道」を通って熊本経由で長崎に向ったとあり、
(クリックすると豊後街道の画像が大きくなります)
まず最初は上陸後5日目(2月19日)に宿泊した場所へ向かいます。
コチラは阿蘇の内牧に在る阿蘇体育館で周りには温泉地らしくホテルが点在しています。
(優しい泉質の温泉が一行の疲れをきっと癒したに違いありません)
以前にはここ一帯、出城である「内牧城」が在りそこを参勤交代等で宿泊する宿として
「内牧御茶屋」を設置して在りましたが残念ながら開発により痕跡は伺えません。
いまや城跡は市民の憩いの場になり、案内板だけが当時を知る手掛りとなっています。
(”夏草や兵どもが夢の跡、、、”)
山の麓伝いに左手に壮大な「阿蘇五岳」のパノラマを観ながら数キロ上ると、
当時の佇まいを残した「的石御茶屋跡」が見えてきます。
休憩地である屋敷内の庭には滾々と湧き出る北外輪山からの伏流水で泉水が形づくられ、
御茶屋泉水として「くまもと名水百選」に選ばれて紅葉の時期には沢山の人が訪れます。
(時は2月、辺り一面の雪景色を観ながら龍馬一行は先を急いだでしょうネ)
ここで喉を潤し「豊後街道」難所の1つ「二重峠」に向かいましょう。
そんでもって "It is to be continued."
2013-05-19 17:18
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