SSブログ

いつも何度でも [オヤジの気まぐれ]

   久々の雨に埃っぽかった熊本は潤っております。
   これから黄金色の麦の刈り入れが始まり続いて田に水が入り田植の時期が来ます。

   昨日まで天気に恵まれお陰で方々出かける事が出来て楽しい時間を過せました。

   事の始まりは12日に奥さんと珍しく時間が空いた息子を連れて御墓参りを兼ねて
   南島原市にある「加津佐町」にドライブに行った時の事。

加津佐町 前浜.jpg

   島原名物「具雑煮」を頂いて帰りに立寄った南島原駅の、、、

南島原駅.jpg

   近くにある小さな船溜り。

坂本龍馬 島原上陸の地.jpg

   残念ながら周りの景色は当時の面影はありませんが、
   写真中央に陸へと上がる石段が見て取れる。
   これが坂本龍馬が島原に上陸した階段だと言われております。

   文久3年(1863)長州藩が関門海峡を通る外国船を攻撃するという事件を起こした。
   翌元治元年(1864)2月、幕府より調停役を命じられた勝麟太郎は、
   調停場所となった長崎へと向かった。

勝麟太郎.jpg

   この時、同行させた「神戸海軍私塾」の塾生14人の中に
   皆さん御存知、「坂本龍馬」の名前を見付ける事が出来ます。

   「勝」の門人として海軍建設に大切な人材になっていた「龍馬」。
   時は志士に対して弾圧が強くなり「武市半平太」も獄中に在り、
   藩の呼び出しに応じず自ら藩から追われる「脱藩浪士」になった龍馬の身を案じ、
   物騒な京都に置き去りにするより随行員として同行を許したと言われております。

皆さん御存知 坂本龍馬.jpg

   聴く所によると寂しがり屋の「勝海舟」は、
   龍馬をはじめ賑やかな連中と旅の中で「志」を確かめたかったのかも、、、。   

   あれっ?島原の前は「龍馬」は何処にいたんだっけ?

       それは「熊本」でしょう! 

   だったら調べに行こうじゃあ~りませんか。
   
   果たして「龍馬一行」の熊本での動向はどうだったか
   空っぽの私の頭とバイタリティーを使ってこれを追ってみたいと思います。


          to be continued






nice!(14)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 14

コメント 6

半世紀少年

マメ三さん 文才ありますね〜。
ついつい引き込まれてしまいましたよ。
by 半世紀少年 (2013-05-19 17:26) 

マメ三

半世紀少年さん、
ありがとうございます、皆大好きな坂本龍馬は調べると余計に身近に感じる事が出来ました。
by マメ三 (2013-05-19 21:21) 

ぼんぼちぼちぼち

一枚目の島 銘菓ひよこをちぃと平たくしたような形でやすね(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2013-05-20 17:04) 

マメ三

ぼんぼちぼちぼち さん、
そうそう中に黄身餡がいっぱい入ってお茶に合うお饅頭って、、、?。
地元では「岩戸山」と言われ写っていませんが左に「女島」が在り、
白い浜とでこの町のシンボルになってます。
頂上では町並みや長崎半島、天草の島々が一望できます。


by マメ三 (2013-05-20 19:17) 

アビッチ3号

龍馬さんの足跡を辿る旅に出発ですね!奥様に龍馬が京都から日本で初めて行った新婚旅行を辿りたいなんて事言われたりして(^-^)v
by アビッチ3号 (2013-05-21 06:43) 

マメ三

アビッチ3号さん、
ウッ!鋭い!言い出しかねないですネそれは、、、。
でも今度友人が長崎に転勤になったので遊びに行こうかと考えてます。
by マメ三 (2013-05-21 22:29) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

にんじゃりばんばんevolution ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。