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ありがとう [オヤジの気まぐれ]

   天気予報では熊本は「晴れ」なのに、空全体に霞懸かっていて「曇りの日」みたいです。
   PM2,5予報では連日かなり高い数値が続いてます。
  
   朝は涼しくて昼になると「ガリガリ君」ペロリと食べれる程暑くて夜はまたヒンヤリして、、、
   この時期の過し方には気を使いますネ。

   さぁ、熊本入りした「勝海舟と坂本龍馬」一行の続きでしたネ。
   長州が外国船を砲撃してその報復をしようとする米、英、仏、蘭との交渉の為、
   長崎に向かう彼らは元治元年(1864)2月19日
   今の熊本市新町にあった本陣「お客屋」に入ります。

御客屋跡.jpg

   その後明治天皇と西郷隆盛も宿を取られたとあり、
   跡には幼稚園が立ち傍らの記念碑だけがそれを記しています。

   その時の事を「勝海舟」は、
      熊城下新町之本陣に宿す、候より十文字之鑓刃を賜ふ
      我門之藩士数人来訪 と書いています。

勝麟太郎.jpg

   宿に着いて折り返し「勝海舟」は「龍馬」をここから15km程離れた
   沼山津の「四時軒」で謹慎していた「横井小楠」のもとに見舞いに向かわせます。

   (熊本藩による小楠の謹慎の処遇をはばかり海舟直接の面会を慎んだようです)

横井小楠.jpg

   いくつもの事件を起こしては謹慎ばかりしている人で、結構やんちゃやってます。
   それに御存知の方も多いとは思いますが、
   このオッサン当時はぶっ飛んだ考えを持っていて

   1、将軍はまず京都に行って天皇家に過去の無礼を謝んなさい!
   2、参勤交代は金が掛かるし無駄だから止めちゃおうヨ!奥さん達も里に帰りナ!
   3、政をするのに身分など関係ない!優れたヤツ大歓迎!
   4、これからは外国と商売しなきゃ駄目だよ!
   5、だったらどうしたら良いか皆で考えて意見出し合ってさ実行しょうぜ!
   6、外国と同等に渡り合うには「海軍」を興してさ訓練して相手をビビらせなきゃ!
   7、その為には幕府だの藩だの取っ払って「日本国」で頑張らなきゃ!

     と こんな風には言わなかったでしょうけど、
         九州の片田舎の「保守的な熊本のお偉いさん」には、煙たい存在だったようです。
         それでも身分の隔たり無く教えを請う人には親身に接したとあります。

   (ですから小楠の居た地域から排出された塾生は熊本の偉人が多いのも事実です)

   「熊本」が理解を示せば良かったんですが「小楠」は「松平春嶽」にヘッドハンティングされ
   「幕末期の藩政改革モデル」として
   既に財政破綻していた「福井藩」を見事に短期間で立直しちゃったんです。
   これ以降、小楠は松平春嶽のスーパーバイザー的な存在になっていきました。

         (小楠先生!俺一生付いて行くっス、、、的ナ) 
     
   この凄いオッサンですが、文久2年(1862)「お酒」が災いした不手際で、武士の位を剥奪され、
                   周りには「山と田んぼ」しかない所で謹慎くらって居りました。

四時軒.jpg

   この時「龍馬」と会うのは4回目で「四時軒の11畳の客間」で、
   小楠は龍馬の話を聴き後に「海軍問答集」の筆を執ることになります。

四時軒 客間.jpg

   「龍馬」の業績に多大なる夢やヒントを送った「小楠」ではありますが、
   6回目の慶応元年(1865)5月長州藩を討伐しようとする小楠と龍馬は対立し
   「ここから出てゆけ!」と小楠の言葉を最後に二度と会うことはありませんでした。

   明治元年(1868)、小楠は新政府に参与として出仕しますが、
   翌2年(1869)1月5日 に参内の帰途、十津川郷士らにより、京都寺町通丸太町下ル東側
   (現在の京都市中京区)で暗殺されました。  享年61。

皆さん御存知 坂本龍馬.jpg

            (龍馬暗殺から3年後のことでした)



         で、やっぱり to be continued.
   


   


   
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